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「本能寺」の真犯人を知っていた? 光秀と煕子、愛のストーリー(産経新聞)

 【萌える日本史講座】側室を持たず、愛妻家といわれた戦国武将というと誰を思い浮かべるだろう。直江兼続や山内一豊は最近の大河ドラマで描かれたこともあり記憶に新しい。「本能寺の変」で主君・織田信長を討った明智光秀も愛妻家として知られる。正室・煕子(ひろ)子とのエピソードは江戸時代の俳人・松尾芭蕉をも魅了した。2人の逸話を拾っていくと、後世「裏切り者」呼ばわりされた光秀の“男気”が見えてくる。(渡部圭介)

  [フォト]中川晃教の「光秀」が黒木メイサの「信長」を抱きしめる

 ■芭蕉が感銘

 元禄2(1689)年のこと。松尾芭蕉は伊勢を訪れた際、門弟である山田又玄(ゆうげん)夫妻の家に宿泊した。貧しくても夫婦の心温まる接待に感激し、一句詠んだ。

 「月さびよ 明智が妻の はなしせん」(わびしい月明かりの下ではあるが、明智光秀の妻の話をしよう)

 芭蕉は越前(福井県)で、光秀の妻・煕子にまつわる逸話を耳にしたことがあった。山田夫妻の姿に、明智夫妻の姿が重なり合って見えた。

 ■黒髪を売る

 芭蕉が聞いた逸話とはどのようなものか。

 織田信長に仕える前、光秀は越前で「無職」だった時期を過ごしている。貯金も底を尽き、収入は近所で農作業を手伝っていた煕子のパート収入のみ。そんな時、光秀は朝倉家に仕えるチャンスを手にした。

 職が見つかれば、上司や同僚との「のみニケーション」も仕事のひとつ。特に美濃(岐阜県)からの流れ者である光秀にとり、職場内の付き合いは大事だ。

 光秀は同僚らを集めて連歌会を開くことになった。しかし、明智家に酒や料理を用意できる金はない。家計を預かる煕子は悩んだ。夫を金の無心に走らせては面目が立たない。

 地元の寺で催された連歌会。出席者たちの御前には豪華な酒と料理が並び、宴は成功に終わった。光秀は上機嫌のまま酔っぱらって帰宅すると、出迎えた煕子が頭に布を被っている。

 「何を隠している」。光秀は抵抗する煕子の手をさえぎり布を取る。豊かな黒髪がなくなっていた。豪華な酒と料理は、髪を売った金で用意したのだ。光秀は生涯、側室を持たないことを誓ったという。

 ■あばたもえくぼ

 女の命ともいえる黒髪を、夫のために惜しみなく切って売る。煕子がそこまで尽くした背景には、結婚までの経緯がある。

 2人の結婚時期ははっきりしない。さまざまな説を見ると、光秀は20歳前後、煕子は10代後半ぐらいに結婚したことになる。

 煕子は美濃の妻木城主・妻木広忠の娘とされている。広忠は、なんとしても地元の名士である明智家と縁を結びたかった。美人で知られた煕子を嫁がせることに迷いはなく、煕子自身も、まだ見ぬ光秀に恋いこがれ、婚儀の日を心待ちにしていた。

 祝いの日を間近に控え、妻木家に悲劇が起きる。煕子が高熱で倒れたのだ。熱はなかなか収まらない。天然痘に襲われたのだ。

 生死にかかわるばかりか、仮に回復したとしても体に痕跡が残る可能性がある大病。煕子は一命を取り留めたものの、顔から首にかけて「あばた」が残ってしまったのだ。

 変わってしまった煕子の顔を見て、広忠は焦った。明智家との縁組が破談になりかねない。そこで煕子の妹・八重を替え玉に仕立てて明智家へと送り出す。煕子は悲しみの涙に暮れた。

 ところが翌日、八重が家に戻ってきた。父の問いに「『身代わりはいらない』と言われて…」と説明。光秀は八重から煕子の顔のことも聞いていたが、意に介さなかった。煕子の目からは喜びの涙があふれた。

 ■「本能寺」の真相を聞いている?

 煕子は天正4(1576)年に死去したとされる。光秀が織田家に仕えてから7年。近江(滋賀県)に坂本城を築き、念願の城主となってわずか5年ほどのことだった。病気になった光秀の看病疲れが原因だったという説もある。自らの寿命を削ってまでも、夫に尽くした人生であった。

 一方で、光秀の伝記「明智軍記」によれば煕子は天正10(1582)年に死去したという。「本能寺の変」後、夫の死を知り、坂本城に火をつけ自害したというのだ。

 夫婦のきずなの深さを考えれば、主君・信長を討つという光秀の人生をかけた計画を耳にしていてもおかしくない。光秀の背後に誰がいたのか。日本史上最大級のミステリーを解き明かす鍵を煕子は知っている?

 ■濃姫関与説

 残念ながら「明智軍記」は江戸時代に書かれたもので、著者も不明で資料的な価値は低い。

 ただ、「天正10年死去説」に基づく中島道子著の小説『濃姫と煕子−信長の妻と光秀の妻』の“推理”は面白い。光秀の背後に、信長の妻・濃姫がいたというのだ。

 美濃の斎藤道三の娘である濃姫と、斉藤家に仕えたことがある光秀は、かつて互いに思いを寄せ合っていた。本能寺の変直前、濃姫は光秀に「本能寺、兵二百」という、信長の警護が薄いことを暗示する密書を送り謀反を促す。

 光秀は決起する。煕子も夫が抱き続けた未練を察し、ただ武運を祈る−という筋書き。明日の命も分からぬ戦国時代、光秀は妻や思いを寄せた女性のために命をなげうった。

 ■謎だらけの夫婦

 光秀と煕子の半生はベールに包まれている。

 煕子が妻木家出身というのも確証はない。光秀も美濃出身ではあるようだが、美濃国内のどこの出身なのかは諸説ある。

 彼の履歴がはっきりしだすのは、織田家に仕えてからだ。信長の生涯を記録した太田牛一の『信長公記』によれば、光秀は朝廷と深いかかわりを持っていたとか。いつ、どのような機会で朝廷との結びつきができたのかは記されていない。

 謎だらけの2人だからこそ、数々の逸話が生まれたという見方もできる。しかし、何の根拠もなく美談が生まれるだろうか。少なくとも夫婦のきずなの深さは「史実」だと思いたい。

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